アスペ夫人退院
アスペ夫人が退院した翌日
ご主人から「妻は何かいっていたか?」というので、「何も言ってなかった」と答えた。
ですが言っていたこと。
①入院中、サンドイッチとかたくさん買ってくるので、困った。主人に持たせようと思ったくらい。
②退院日を14日にしたのはまちがった。2日後の16日に再来院しなくてはならない。
だったら、あと2日入院していれば良かった。
それで14日退院し、一人で帰った。
あれれれ?
14日はご主人の診察日なので、退院し一緒に家に帰るといったのは嘘??
ご主人をほおり出して、一人で帰ってしまった。(姉の車に乗せてあげましたけど)
確か入院する前、主人の診察日に合わせて退院したいということだったので
病院も無理して14日退院させた。
ですが16日に来院しなくてはならないと知り、14日にしたのは間違い。あと2日入院してれば良かったとのこと。
あれれれ?
ご主人の受診や清算の世話をしたいということで、退院を14日にしたのに。
16日夫人が診察で来なくてはならないと知り、ご主人をほおり出して、早く帰宅したいとのこと。
確か入院前、「入院中、家のなかがめちゃくちゃになってるのか心配」と言っていた。
ご主人の食事の心配はしていなかった
ご主人と家とどちらが大切なのか??
ていたらく、という言葉を吐くアスペ夫人
アスペ夫人が入院するときに
「主人は、ていたらくだから、よろしくねっ!」と言った。
普通、奥さんがご主人のことを
「ていたらく」
と言うだろうか?
「だめ夫」と言っているのでしょうか?
今もわかりません。
アスペ夫人が、ガンにかかった!
本当にびっくりしました!
本人はとても元気で
ガンを切除すればよいとのことで
入院も一週間でよいとのこと。
でも、何も出来ないご主人の食事のことを心配ですよね~。
それで、夫人に
1食づつ冷凍して、チンすれば良いのでは?と言ったところ。
缶詰とかご飯とか1食づつしてあるので大丈夫とのこと。
しかし、家にいってみたら、さとうサトウのご飯が、山積みになっていて、缶詰も段ボールに無造作に入っている。
あれれ???
これじゃあ、ご主人ご飯食べられないな~と思う。
ガスもつけられない、チンも出来ないということだ。
入院まで1ヶ月もあったのだから、せめて電子レンジくらい教えれば良いのにと思った。
家にいくと、菓子パンやら甘いお菓子ばかり食べているようだ。
もちろん缶詰もレトルトのご飯も食べていない。
仕方がないのでご飯を作って運ぶ。
それ以上に不思議なのは、留守中宜しくお願い致します。という挨拶もないのだ。
またご主人のこと宜しくもなにもない。
心配していたのは、退院して戻ったら家がごちゃごちゃになっていないかしら。ということでした。
ご主人のこと、何も心配していないのです。
不思議です。
やはり、自己愛が強いのかな?
主人はコロナかしら?
3月5日12:00頃に、ある取材があり、支度をしていると
アスペ夫人の夫から電話。体調が、悪くキャンセルとのこと。
昨夜高熱39度が出たとのこと。
朝になり、37度になったが、また38度。大丈夫というが、また大阪の悪夢が蘇る。
病院へ行くと伝えて、支度をする。
タクシーで病院に向かう。
待合室で待っていた時に、ご主人の額に手をやると熱い。アスペ夫人は熱を下げる努力をしない。
私は仕方なく、タオルと熱冷まシートを買って、冷やす。
昨夜も、熱冷まシートを貼ったというが、39度の熱は、そんなものでは下がらない。
本当に、ご主人の身体を心配していない。
挙げ句のはてに、「コロナだったら、新潟で感染したのかしら」と言う。
新潟は2月24日に出張なので、潜伏期間と言いたげだ。
どちらにしても、ご主人が熱で診察を待っているときに無神経な、言葉である。
アスペ夫人がアスペルガーではなかった?
この衝撃的なことが起こったのは、アスペ夫人のガン告知だ。
しかも彼女は「バチがあたった」と言う。
しかも、しかもガンの手術をすることになったが、入院後の夫の暮らしや世話の心配をしてないのである。
話は「もう肝は座っている。あとは先生に任せるだけ」
「死んでも、それが寿命だから、それを受け入れる」と、自分のことは気持ちの整理をしているようだが
夫は??
放置??
料理もできず、風呂の火もつけられない夫がどうやって暮らすのか?
そこを心配していないのだ。
妻が病になって普通はまず、夫の心配をするものであるが・・・・。
「ショートステイに行ってくれるといいんだけど、本人は死んでも嫌だというのよ~」とアッケラカンとしている。
夫にホームヘルパーを頼むとか、食事の宅配を頼むとか、何も策がないのだ!!
アスペ夫人はただの「自己愛」「個人主義」だったのか??
謎は深まる。
アスペ夫人が病に
2月下旬に、衝撃的な話がご主人からあった。
アスペ夫人が癌になったとのこと。
アスペ夫人からも話があり、昨年から胸のしこりがあったとのこと。
今、そのしこりは大きくなり、ゴルフボールくらいになっているとのこと。
もっとしょっくなのは、胸に痛みを感じ、シャツの胸のあたりが濡れているので、何かな?と思ったら血だった。びっくりして、ご主人に言ったとのこと。
急いで病院へ。
そして乳ガンとわかる。
不思議なのは3ヶ月くらい前からしこりはわかっていたが、姉がアメリカから来ていたので、帰ったあとで病院へいけばいいと思っていたとのこと。
たぶん、その頃からしこりは大きかったのだと思う。
米粒大、小豆大でも大騒ぎする乳ガン。それなのにゴルフボールくらいまで、放置していたのは不思議だ。
とにかくアスペ夫人には驚かされるが、知人が乳ガンを手術して、元気に社会復帰してるので、ショックはない。
しかし、ゴルフボール大まで放置していたことは、自分は良いが、命にも係わることで、何かあれば夫のことも心配しないのか?ということである。
そこがわからない。
その夜、3人で会食をした。
席について、アスペ夫人が開口一番「バチがあたったのかしらね」と少し笑って言っていた。
「何が?」と聞きたかったがご主人の手前聞けなかった。
「バチがあたる」というのは、普通考えれば、意図的に何か悪いこと、イジワルだったり、何か人に対して悪いことをしているという自覚があることだ。
だから、そこを聞きたかったが…。
私が思うに、今までこのブログを書きはじめたきっかけ、アスペ夫人の厭がらせだったり、嫌味を言われたり、本当に辛い日々だったのだ。
だから、このブログを書いた。
でも、実は彼女はアルペルガー症候群ではなく、ただ単に、自己愛、人に対して意地悪、厭がらせをしていたのか???
その根元は「夫の独占、執着」だった。
仕事であってもご主人と私と会うのを嫌うし、自分の姉に対しても、夫と仲よくするのは嫌い、わざと姉に対しても厭がらせをしていた。
アスペ夫人はアスペではないのか?
というふうに考え方が変わってきた。
煩わしい
これ言われたら頭にくるよね。
そんなエピソードです。
1月13日は、アスペ夫人のご主人の誕生日。いつもどこかで食事をするか、アスペ夫人宅で食事会をやる。
それで、今年は買い物の後に食事をしようとご主人に提案。
あるお店で派手なスニーカーがあって、良ければご主人に選んでもらい、
そのあと、3人で食事でもしようと考えてた。
でも、なかなかご主人から連絡がこず、当日を迎える。12時くらいに携帯が鳴る。
「はい!」と出て見ると、うんともすんとも言わない。何か男性二人の声がする。
どこかでかけてるのかな?と思い
少し待つ。
すると
ご主人の声が
「あのお店に行かないかって、婦人服が50%OFFだって、帰りに飲もうって」
アスペ夫人
「あなたはしんどくない?」
ご主人
「別に」
アスペ夫人の沈黙の後に
「煩わしいのよ!ふんとに!」
ご主人
「行こう、行くよね」
アスペ夫人は不機嫌な空気。
ここで、私は携帯を置く。
ご主人の携帯、自然にリダイヤルになっていたんだ。
すると、ご主人から電話あり。
「14:00からどう?」というので、
私は「気が乗らないなら無理しなくていいですよ。」
ご主人「えっ?別に、大丈夫だよ」
私「いえ、奥さんが、煩わしいならやめてもいいですよ、無理しても楽しくないてすよ」
ご主人「なんで??(わかるの?)」
私「実は聞こえちゃったんです。奥さんが煩わしいって。ご主人の携帯、リダイヤルになっていて、私が出たらうんともすんとも言わない。で、切ろうかと思ったらご主人の声がしたので、私への会話かな?と思ったら、奥さんとのやり取りだった。」
そんなことを話した。
ご主人は、そういう話を聞かれたのなら、今日はやめようという雰囲気でこう言った
「そうだね、やめよう。体力を温存しよう。原稿書きで疲れちゃったからね」
という返事。
神様は、なんていうことをしてくれるんだ、と思いつつ、こんなことも予測して、友人たちとご主人の誕生会は済んでいた。
ご主人、アスペ夫人のご機嫌をとりながら事を進めるのは大変だなとつくづく思った。
ご主人の誕生日を祝ってくれる人がいる。年に一度、楽しく過ごすのも良いもんだと思うけどね、
アスペ夫人は、人の立場で考えられない、要するに気がきかない、思いやりというものがないのだ。でも、それは病気だから仕方がない。
自分を犠牲にするなど、まったくない。自己愛が強いしね。
夫の誕生日まで、駄目にするアスペ夫人の恐ろしさ。
アスペ夫人の誕生会の時はレストランでやって、プレゼントも渡した。
同じことをご主人にも、と思ったけど、アスペ夫人は忘れてしまったのかな?(笑)。
久しぶりにアスペ攻撃でした。でも直接じゃなかったから、心はあまり痛まない。