姉が来るなら出家する!
昨日、ご主人の話。
アメリカ在住のアスペ夫人の姉が、アスペ夫人の家に3ヶ月ほど滞在中。
もう45年ほどアメリカに住んでるから、感覚はアメリカ人。
イエス、ノーをはっきり言う。負けん気も強い。
妹をコキ使うなどなど。
当然、姉妹仲が悪い。
アスペ夫人は「姉が、今後、家に来る、または住むようになれば、私は出家する」と言ったらしい。
私は耳を疑った。
だって、病気の夫を置いて出家するとは、信じられない。
もともと、アスペ夫人は夫の病気を治そうと思っていない。
というのは、自分がいかに夫を看病したか、の事実が大事であり、それが自己流の看病でも良いのである。
医師や、病院の栄養士のいいつけは守らない。
入院時も、夫の身体を拭いたり、歯磨きをさせるなど、世話を焼かない。
ベッドの側で新聞を読んだりしているだけで、何も身の回りの世話をしないのである。
夫に「早く帰れ」とまで、言われる始末。
アスペ夫人のテーマは、妻として「ずっと夫の側にいた」という事実だけを大切にする。
姉と夫、どちらを重視するのかは、姉を重視するのである。
重視というか「姉が嫌い」なので、ひとつ屋根の下には暮らせない。
といものだ。
夫は、自分の人生に必要ないのである。
笑い話に聞こえるが、本当の話である
それでも正当化する、涙ぐましいアスペ夫人
吸入の続き。
吸入薬を処方してもらい、3人仲良くお昼を食べて帰った。
帰るタクシーの中で、アスペ夫人は医師から与えられた薬は全部飲むようにしているという話になった。
しかし、アスペ夫人はどういう風の吹きまわしか
「治れば途中で薬を止めていいのよね~」と言うので
私「そうね、できるだけ飲まないほうがいいんだよ。内臓に負担いくからね。だから今の先生は、吸入を勧めたんだと思うよ」
と言った。
そして
吸入の話になった。
私はご主人に「ご主人はステロイドも飲んでるし、先生は、身体の負担を考えて飲み薬より吸入を勧めたんだと思うよ」と言いました。
アスペ夫人はそれをきいて、姉から禁止されている「そうよ!」と言った。
「そうよ!うちは!前からやってるわよ!」と言いたげだったが
実際は、アスペ夫人は吸入を処方は入らない。という態度だった。
それなのに「そうよ!」と言ったのだ。
「やってない」のに「前からやってる」と言わんばかりに自慢げに言った。
言動が矛盾していることにアスペ夫人は気がついていない。
ご主人は吸入に納得している様子だった。
そして私はご主人に「よく吸入の仕方を練習してね」と言った。
「吸入は苦手だから入らない」じゃなくて
「主人に練習させます!」でしょう。
練習、訓練すればいい。
助かるために。
前例がない…アスペ夫人が新しい治療を拒むわけ
アスペのご主人さんは、昨日、大阪の病院を退院。
今朝、アスペ夫人から電話あり、「主人が咳が激しいので地元の掛かり付け病院に行こうと思う。
主人が、貴方も呼ぶように言ってるので、来てくれる?」とのこと。
すぐ駆けつける。タクシーを呼ぶ。
医師から、大阪のカルテなど見て「吸入はどうです?・・」といいかけたときにアスペ夫人が医師の話を遮った「主人はダメなんです。前にやりましたが、下を出したり・・うまくいかなくて」と喋り出しました。
医師の説明を遮るのも失礼だし、そこで持論を展開する意味がわからない。
今はご主人の咳を止めることが、優先。
前に吸入がうまくいかなかったからといって、なぜ、医師の話を遮るのか???
それで私がアスペ夫人の話を遮りました。
私「(夫人)ちょっと待って、まず先生の話を聴きましょうよ」と言いました。
先生は、私にお礼の目配せをした。そして話を続けた。
先生「大阪でもらった咳止めの頓服は、効かないんですよね。では吸入を試してみますか?喉の気管を広げる役目をします。使い方は薬局で教えてもらってください」と言いました。
私「お願いします。吸入の仕方はちゃんと習えばいいでしょう?」とアスペ夫人に言いました。
アスペ夫人は、過去にこだわり、新しい試みをしようとしない。
また、今のご主人は、薬を飲むより、気管を広げるほうが身体に負担がないはずです。
もろもろ考えたら吸入を、試してみるのも手だと思いますよね。
でも、アスペ夫人は、こう言いたげだった。
「主人のことは、私が一番よく知っています。だから主人は吸入は無理なんです。」と。
ただ、ご主人を見てみると、吸入に納得している様子だった。
とにかく咳を止めることが最優先だ。
アスペ夫人は、ご主人の苦しみを取り除くより、持論を展開することで、満足していたようだった。
ただ医師と私に説得され、吸入の薬をを処方してもらうことにした。
私の笑顔が生きる糧
本当にアスペ夫人と接触すると、話題が尽きないな~(笑)
本当に驚愕、びっくり、唖然なことが次から次だからである。
今回、最も驚いたのは
入院患者の祖父を介護するお孫さんの話から…
このお孫ちゃんは、元気印で弾けそうな明るい女の子だ。
その子が
お祖父ちゃんが退院後に好きな猫を飼うと言った。何か生きる張り合いがあったほうが、良いと思う。
というから、感心なお孫ちゃんだなと思った。
その話をアスペ夫人も聴いていたので、翌日に聞いてみた。
私は「ところで、あのお孫ちゃんは、お祖父ちゃんの為に猫を飼うと言ってたけど、アスペ夫人、何かご主人が好きなものありますか?」と聞いた。
これは、退院後に生きる張り合いを何か用意していますか?という意味で聞いた。
その答えは
「あるわよ、私の笑顔」
ガガ~ン!!
まぁ、皆さん奥さんの笑顔が好きなのは当たり前というか、基本です。
そうじゃなくて、
「趣味」「仕事」「執筆」などなど、ご主人の生きる張り合いを作ればどうか?と聞いたのに
この陳腐な答にびっくり!
病気の夫よりワ・タ・シ!!
7月10日にご主人が大阪で倒れ入院、夜にはアスペ夫人が来るので19:00に新大阪駅に迎えに行く。
ここまでしなくても、と思うが、地理に弱く、方向音痴なので、病院には辿り着けないのだ。
19:10にのぞみ到着。
アスペ夫人が降りてきた。
持ってきた荷物のことなど話して、その次に話したのは、成田駅に忘れ物をした話。
私はまだまだ気が動転してるから、話の詳細は覚えていない。
驚いたのは、ご主人の今の容態やどうやって病院に運ばれたのか?など、一切私に聞かいのだ!
なんば駅に着くまでずっと成田駅にリュックを忘れて、出てきたものの身分証明書がなければ受け取れないとか、
結局送ってもらったという顛末をコト細かく話すのだ。
奥さんなら、私はご主人の状態を真っ先に聞くべきたろうと思うし、ホテルのこと、私が仕事を休んだり、いろいろ聞くことがあるはずだ。
そういったことはなく、自分の忘れ物の苦難の顛末を話している。
この人は、夫のことをどう思って暮らしているのか疑問になる。
そして・・・
13日に私は仕事があるので東京へ戻ることにした。
アスペ夫人に昼間連絡しても電話に出ない。緊急のこともあり、電話はすぐ出るようにしてあるのが当然なのだが。
夜20時には仕事が終わったので、かけてみる。
すると、アスペ夫人からこんな驚きの言葉
「あっ、昼間、なんばに行ってたの、貴方がくれたのは14時でしょ?仕事に行く時でしょ?」と言う。
つまり、折り返しの電話をしなかったのは、私はその後15時には仕事だから、掛けても出られないから。とアスペ夫人は言い訳をしている。
そんなことよりご主人の容態を聞きたいのだ。
その次にアスペ夫人はウキウキした声で
「今ね、ホテルのご主人から、あれこれ使い方を聞いてるの」という。
私は「じゃあ、落ち着いたら、後でかけるね」と電話を切る。
そして
30分後。アスペ夫人にかけた。
アスペ夫人「ここね、面白いホテルなの。ご主人は建築家でね、5階立てを自分で立てたのよ、
5階だけど、2段ベッドはだめだから下のベッドにしてもらった
お料理も上手そうで」みたいなことを延々と話すのだ。
そこはバックパッカー用のドミトリーというハウス。安いことで1拍だけ予約した。
それはどうでもいいんだけど
ご主人の容態は?
やっとご主人の事を話してもらった。とても元気。先生とも話した。来週半ばには退院できそうだと。部屋も移ったとのこと。
ホッとした。
運ばれた時は、熱が39.9。血圧が200近くだと思ったら翌日は75と低い。肺炎のレントゲンもショックだった。ステロイドも30
そんなことを経てきたので、容態が心配なのだ。
アスペ夫人のことはどうでもいいのだ
これはアスペルガー症候群なのか?まぁ、(私がご主人の容体を気遣って電話した)という空気を読めないから、アスペルガー症候群なのだろう。(笑)