アスペルガー夫人の考察記

アスペルガーのはてな?なんでだろう?を事実に基づいて綴って行きたい

元の木阿弥にならないように、気を付けて治療して下さい

昨日、退院した。

帰り際にアスペ夫人
「これでやっと、夜中にテレビを見たりできるわね。前の病院は夜、テレビ見ても良かったけど、ここは9時以降はダメなのよ。辛かったわね~」

おいおい、どの病院もテレビは9時まで!

前の病院は、たまたま見逃してくれてただけ。

それに、ご主人、身体を壊した理由は、在宅の仕事で、こたつに座りっぱなしで、、昼夜とわず、仕事、食べて、寝てということを続けたからじゃないの?

しかも、普段の3倍も、ご飯食べさせ過ぎ!

アスペ夫人が勘違いしてるのは、夫のやりたいことをやらせること、食べたいものを食べさせることが愛情だと思ってること。

でも、それは愛情ではなく、自己満足だけ。

本当に夫の身を思えば、好きな食べ物も考えて、食材を変えるなどしないとね。

入院前に食べてたのは、ほとんど腎臓に良くない食材だったね。タンパク質多いタラコ、数の子、牛ヒレ肉などなど。

退院して、また、それをやるなら、また体調崩すから気を付けて下さい。

病院にタテついて、アスペ夫人の退院騒動

虫垂炎も良くなってきたので昨日退院した。

朝9時半、退院の時、看護士がアスペ夫人に薬や注意事項の書いた紙を渡していた。

でも、なにやらアスペ夫人は看護士ともめている。

どうも、インスリンを誘発する注射の器具が、前の病院とは異なるために、文句を言っていた。

文句を言うシチュエーションじゃないんだけど・・・

どうも、アスペ夫人は、人と話す時にけんかごしになってしまうんだね。私は慣れてるけど看護士は始めてだから面食らってた。

どういうことか整理すると

まず、「アスペルガー症候群は、変化を嫌う」ということをわすれてはいけない。

要するに、今回もらった注射器が、前の病院で使っていた注射器具と違うためにアスペ夫人はパニックになった訳だ。

それで看護士につっかかっていた。

ご主人にアスペ夫人が「これ、前のと違うのよ!ねえあなた、やり方わかるのっ!?えっ?やり方わかる?」と矛先はご主人に。

ご主人は沈黙

看護士は、なかば呆れて
「外科で(ご主人を)お預かりしただけですから、内科の薬は、前の病院でもらったほうがいいんじゃないですか?」と言って去っていった。


アスペ夫人「この病院は外科で(仕方なく)入ったのよ、内科は前の病院で診てもらうし薬だって前の病院じゃないと(信用できない)」と怒ってる

しかも、興奮しているから、食事前に打つインスリン注射と、1週間に一度打つインスリンを誘発する注射と混乱してる。

なので、私が注射器の説明をした。

私「この注射器具は、、メーカーが違うだけだから、わからないなら使い方を教えてもらえば?」

アスペ夫人は、納得しないし、怒りが止まらない。

そして、私は一言
「じゃあ、前の病院から注射器をもらえば?次に注射打つのは1週間後だから、早目に前の病院に予約したほうかいいんじゃない?すぐ予約とれないよ」

と言ったら

アスペルガー攻撃!!
「予約なんかしなくても大丈夫よ!」と反論(笑)

アスペ夫人は人のアドバイスに「そうね」と言えない(笑)。
その場を丸くおさめれば、コミュニケーションとれるのに…。

まぁ、それはいいとして、たぶん予約なしでいったら、超待たされて、また憤慨するんだろうなぁと想像する。

まぁ、そんなこんなの退院騒ぎになりました。

ふぅ~。

3人でエレベーターを降りたときにアスペ夫人の病院への最後ッペ

「こんなドロドロした胃の薬、家にたくさん残ってるのよ、こんなものいらないのよ」

私も最後に「胃の薬、液体だから飲みやすくていいんしゃないの?」と静かに言った。

言葉の裏は

「病院に対しては、夫の病を治してくれてありがとう。でしょう?病院や人に当たることはないでしょう。素直に感謝してね」

退院はめでたい、嬉しいことだ。
この騒動は、ただ単にアスペ夫人の脳の混乱にある

「注射器の形態が異なる」ことが原因だ。

この変化に対応できないアスペ夫人の病がパニックを起こしたもの。

病院も看護士にも申し訳ありませんでしたm(__)m

90歳の母と似ているアスペ夫人

今年90歳になる母と、アスペ夫人は似ているなあと思うことが多々ある。

母は長男と結婚したので、姑に40年間仕えた。その苦労からか、人や娘に対する思いやりより、自己中心的で、何でも異論を唱えることで、満足感を得ている節がある。

一番似ているのは、日常会話で、即、反論することだ。

例えば母との会話

朝の挨拶で、「今朝は少し寒いね」と言うと

母は「私は寒くない」と言うんですね。

本当は寒くても、反論することで何か立場を守ってるような。


アスペ夫人も同じ

私が「お天気で良かったですね」と言ったら

アスペ夫人は「良くないわよ、午後は雷雨になるんだから」と言ったんですね。

母もアスペ夫人の例も、朝の挨拶だから、
寒いね、といったら「そうだね」でいい訳です。


アスペ夫人は、以前こんなことを言っていた
「今まで耐えてきたから今、主人に仕返しをしてるんだ」と言っていました。

というのは

ご主人は家を出ていったらまともに帰ってこない。夜中に帰る。飲んで歩く。本当に家に居なかった。

長年、アスペ夫人は妻らしいことが出来なかったようだ。この二年あまり、ご主人は、自宅での仕事が増え、食事や世話など妻らしいことが出来ている反面、恨みも強く出ているような気がする。

それが他人に出る。
というかアスペルガーは人と協調できないから

ことごとく反論することで発散してるようだ

お天気ですね→天気じゃない
この薬使って下さい→いらない
この飲み物いいですよ→まずい

本当に母と似ている。

アスペ夫人も脳の障害だと思うのだが、異論、反論を唱えることで自分の立場を保持するのは、どうかなと思う。

良妻を装うことで満足を得る、歪んだ快感

愛情とは?

と、青春時代に戻った訳ではないが、

アスペ夫人といると「愛情」について考えさせられることが多い。

夫への愛

・・・というのは、アスペ夫人が夫への愛情として常にやっていることは

●糖尿病の夫に柏餅を食べさせる

●糖尿病の夫に砂糖入のコーヒーを与える

●腎臓病の夫にコッテリ煮魚を食べさせる

●入院中、夜中にお腹が空くからと菓子を持ってくる

・・・これは一例だけど、

どれも病気の夫の為になっていないということだ。かえって悪化させている。

夫の要望に応えることが愛情としてと思っているらしいが、それは逆で、夫をなだめても、間違った食事は与えてはいけないのだ。

しかし、夫への愛情、愛情というわりに

入院中の夫の世話をしないのだ。

●夫の顔や身体を拭いたりという世話をしない。

●車椅子やトイレに立つときの介助をしない

●寝たきりの夫にマッサージやさすることをしない

●風呂の介助をしない

この世話をしないのは何故なのだろうか?

病室に居ることはすなわち、看護師が手が届かないところを補佐をするために家族は付き添う。

全身が浮腫になり、食事も水もとれず、オシッコも出ず、寝返りも打てない時も、

「自分でできることはしなさい」とベッドから起こしたり、ベッドでウガイをさせるという補佐をしなかったので、

さすがのご主人が怒って
「俺は病人なんだぞ!」と言った。

アスペ夫人は、バツが悪そうにしてたけど、それでも補佐をしなかった。

これは夫というより、親や姉妹、兄弟でもそういった介助はするだろう!

困っている人に対する人間愛だ

でも、アスペ夫人はやらない

やらないどころかベッド脇で新聞のクロスワードに没頭してるのである

・・・ところがである

人前では、夫のパジャマや上着のボタンをはめるとか、襟を直したりとか、ドラマみたいな甲斐甲斐しい演出はするのだ。すると見舞い客も、奥さんがいるから安心だ。と思う。

普段はまったく介助しないのに、人前では甲斐甲斐しさを装う

これって「自己愛」じゃないのな?

ご主人が以前言った言葉が印象的だった。

見舞い客が来たときに、アスペ夫人が如何に介護が大変かを延々と話したらしい。

ご主人は「こんな人だと思わなかった」と言ったのだ。

要するに、普段は夫を介助しないのに、人前では良い妻を演じる姿を見て驚いたようだった。

こう、いろんな例を見て行くと

夫の病状は興味がなく、「夫に尽くす妻を演じる」ことで自分が満足感を得るのではないかと。

とても複雑な心境なのではないか?

だから周辺の人はアスペ夫人は、とても夫の面倒見の良い奥さんだと思っている。

良妻を演じるのは成功しているが、夫の病気はなかなか治らない・・・。

夫婦の絆の薄さから脳の障害が著しくなったのか?

ある友人と会話をしていて

アスペ夫人は、病身の夫の世話をしないし、世話の仕方がわからないみたいだと話した。

その一方で、ご主人の会社が大変な時期も、本人はなのんきに「なぎなたを習いたい」などとアスペ夫人は言っていた。

まぁ、そんな話をしていた。

アスペ夫人はのんびりとしたお嬢ちゃんなのか?

そして、その友人が興味をもったのか、少しアスペご夫婦の背景の話になった。

ご夫婦には子供さんがいないということ。

お姉さんと仲が悪いことなど話した。

姉妹でご主人と知り合いの場合、だいたい姉は活動的で発展家、結婚するなら妹。

というのが通例だという。

その友人は婚活支援活動をしているので、そういう例をよく見てきたようだった。

そして、妙に納得して

友人は言った

「すると、奥さんは大変ですね」と言った。

アスペ夫人にはお子さんがいないために、夫婦としての絆が薄いというのだ。

けれど、夫婦は長い時間を過ごしてきた歴史があり、絆は深いはずだ。

何をそんなに不安感があるのだろう?

埋められない何かがあるのか?

アスペ夫人は確かにクロスワードにはまったのは、大人になってからだという。没頭できるからだとも言っていた。

その友人の言葉をきっかけに夫婦の絆と脳の障害と心の溝について考えてみたいと思った。

親戚の話を延々と話続けるアスペ夫人。自然と耳にふたをしてしまう。

昨日、ご主人を見舞に行った時、アスペ夫人全開!

私は、ご主人の体調や血糖値などの話を聞きたかったのだが、病状の話は聞けず、アスペ夫人の自分の話のマシンガントークを聴くはめになった。

話の内容はわからない。耳が勝手にふさいでしまう。

しかも、アスペ夫人は目を見開き、私の目をじーっと見ながら話すので、私は、下を向いてひたすら話が終わるのを待つ。

私が聴いていようがいまいが関係なし。

とにかく喋りまくる。

時々、私やご主人が、病状や日常会話をする。

仕事のことや体調のことなど、私がご主人に聞きたいことを話す。アスペ夫人の話を遮ってしまうが、それは仕方がない。

アスペ夫人が私には関係ない話を延々としているので、聴くのも辛いのである。

見舞客は奥さんの個人的な話を聞きたい訳ではない。

ご主人は、私に気を使って自分の体調や入院の話題を話してくれる。

悲しいのは、そうやってご主人が見舞客に気を使って、病状を話していることがアスペ夫人にはわからないのだ。

アスペ夫人の話は、父親のこととか、ご主人の両親や親戚の話など。それが固有名詞がたくさんで出てくる。○○さん(ご主人の妹さん?)がね、お墓参りした時に、わらっちゃうんだけど・・・私はご主人の親戚を知らないし、交流もない、興味もないことだ。

ところが、延々と家族や親族の話を詳細に話すのである。頷いたり、相づちを打つ間がないし、私がつまらない表情をしてもお構い無し。

本当に脳の障害でなければ、怒鳴っていただろう。