良妻を装うことで満足を得る、歪んだ快感
愛情とは?
と、青春時代に戻った訳ではないが、
アスペ夫人といると「愛情」について考えさせられることが多い。
夫への愛
・・・というのは、アスペ夫人が夫への愛情として常にやっていることは
●糖尿病の夫に柏餅を食べさせる
●糖尿病の夫に砂糖入のコーヒーを与える
●腎臓病の夫にコッテリ煮魚を食べさせる
●入院中、夜中にお腹が空くからと菓子を持ってくる
・・・これは一例だけど、
どれも病気の夫の為になっていないということだ。かえって悪化させている。
夫の要望に応えることが愛情としてと思っているらしいが、それは逆で、夫をなだめても、間違った食事は与えてはいけないのだ。
しかし、夫への愛情、愛情というわりに
入院中の夫の世話をしないのだ。
●夫の顔や身体を拭いたりという世話をしない。
●車椅子やトイレに立つときの介助をしない
●寝たきりの夫にマッサージやさすることをしない
●風呂の介助をしない
この世話をしないのは何故なのだろうか?
病室に居ることはすなわち、看護師が手が届かないところを補佐をするために家族は付き添う。
全身が浮腫になり、食事も水もとれず、オシッコも出ず、寝返りも打てない時も、
「自分でできることはしなさい」とベッドから起こしたり、ベッドでウガイをさせるという補佐をしなかったので、
さすがのご主人が怒って
「俺は病人なんだぞ!」と言った。
アスペ夫人は、バツが悪そうにしてたけど、それでも補佐をしなかった。
これは夫というより、親や姉妹、兄弟でもそういった介助はするだろう!
困っている人に対する人間愛だ
でも、アスペ夫人はやらない
やらないどころかベッド脇で新聞のクロスワードに没頭してるのである
・・・ところがである
人前では、夫のパジャマや上着のボタンをはめるとか、襟を直したりとか、ドラマみたいな甲斐甲斐しい演出はするのだ。すると見舞い客も、奥さんがいるから安心だ。と思う。
普段はまったく介助しないのに、人前では甲斐甲斐しさを装う
これって「自己愛」じゃないのな?
ご主人が以前言った言葉が印象的だった。
見舞い客が来たときに、アスペ夫人が如何に介護が大変かを延々と話したらしい。
ご主人は「こんな人だと思わなかった」と言ったのだ。
要するに、普段は夫を介助しないのに、人前では良い妻を演じる姿を見て驚いたようだった。
こう、いろんな例を見て行くと
夫の病状は興味がなく、「夫に尽くす妻を演じる」ことで自分が満足感を得るのではないかと。
とても複雑な心境なのではないか?
だから周辺の人はアスペ夫人は、とても夫の面倒見の良い奥さんだと思っている。
良妻を演じるのは成功しているが、夫の病気はなかなか治らない・・・。